私にとって、青春そのものでした!あの頃私は、みんなもうらやむ(?)女子大生で、バブリーな生活を送っていました。帰国子女の私は、日本でめちゃめちゃ流行っているブランドを「こんなの小学生の時にママにかってもらって姉妹で大昔流行ったブランドだわ」と、思いつつ・・。そんな古い品でもやはりブランドは長持ちするものですから・・。それらを再利用しながらも、親には高級車やブランドの新商品を買ってもらい羽振りよく暮らしていました!そうそう今では見当たらない「あっしー」や「めっしー」を利用させていただいたものです。この「死語」をまだ覚えているかたはいらっしゃいますか?今ではすっかり私自身が子供たちの「めっしー」と「あっしー」をやっています。今日もパート広告を見ながら・・。仕事がないわ?とぼやき・・。あの頃・・大学生の時やっていたモーターショーのバイトやモデルのバイトも今では想像できないです。変われば変わるもの。あのきらびやかな時代を過ごしたのに、生涯の相棒?いやいやパートナーを間違えたせいか(ごめんなさい。あなた♪)私はあの頃からは考えられない生活をしています。いろいろいい思いをしすぎたのかしら・・。今はおとなしくあの頃の派手なきらびやかな思い出を胸に抱いて生きています。
それは、「マザー・テレサ」です。1997年にその命を終えたマザー・テレサは、カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者です。インドのコルカタ(カルカッタ)で始まったテレサの貧しい人々のための活動は、後進の修道女たちによって全世界に広められているわけですが・・・。わたしは2001年にコルカタの「マザー・テレサの家」に行ったことがあります。そこは確か、「ハンセン病患者のための家」「孤児のための家」「一時的に子どもを預かるための家(親が貧しくて子どもを育てられないので)」などに分かれていて、わたしは子どもを預かるための家に3日ほどお邪魔して、食事の手伝いや洗濯の手伝いをしました。そこには少しのシスターと多くのインド人スタッフ、何人かの旅行者ボランティアが集まって働いていました。マザー・テレサの死後も、脈々と受け継がれている思念と活動。「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」本当に偉人と呼ぶにふさわしい人だと思います。彼女の数々の名言の中でも一際、心に残っている言葉。それは、「愛の反対は憎しみではなく、無関心」です。
私は旦那とは5年間付き合って結婚したのでデートは色々行きました。定番だったのが映画です。でも、二人の映画の好みが違っていたのでちょっと大変でした。旦那は、ホラーやアクション系が好き、私はそっち系は苦手でラブストーリーやコメディとか邦画が好きでした。だから、お互い譲りあってみたりもしました。最初は、嫌々なのに見終わったあとに、めちゃ感動した?とか面白かったって旦那に言われると嬉しかったです。ほらね(*^^)vって言ってみたりして。ショッピングにもよく行ったけど、旦那と行くと私の買い物の時にはいつも店の前で待ってたのでちょっと悪いな。って思うことが多くて今は、一緒の場合は旦那の買い物だけします。やっぱり、デートは二人で楽しめるところがいいですよね。デートスポットで一番行きたかったのは遊園地でした。でも、ここでも問題が…旦那は絶叫系はまったく無理で、高いところも苦手なので子供が乗るようなアトラクションしか乗れないんですよ(*_*;これ、最初はめちゃくちゃショックでした。私はバリバリ絶叫系なのに物足りないよ?ってそう考えると、私たち二人って合うような合わないような。でも、二人とも好きなのは漫画喫茶でした。ってかそれってデートで行くところ??ってよく友達に突っ込まれましたけどね今でも行ってます。